kanossaのブログ

歴史小説や時代小説を綴ることを中心としたブログです。
簡単に読めるものを書いていきます。最初は、戦国時代
に主君大内義隆を殺害し、厳島の合戦で毛利元就に敗れ
散っていった陶晴賢(五郎→陶隆房→陶晴賢)を主人公
とした「TAKAFUSA」を書きすすめます。

TAKAFUSA その9 爺との出会い

まえがき


今は陶晴賢子供時代のお話となっています。兄を失い、また愛犬タキを失うという悲しみも体験しながらも、父・母に厳しくも温かく育まれ・・・また、又二郎・百乃介・与吉などの仲間にもめぐまれ、浜の網元の娘お栄にほのかなあこがれを抱く五郎、泣いたり笑ったり危機に陥ったり・・・多感な少年時代をすごしています。今日は五郎の人格形成に大きな影響をおよばす爺と出会います。


その9


柴犬の愛犬タキが鳶に連れ去られてから・・五郎が始めたことがある。


(今度もし鳶が襲撃してきたらこれで追い払ってやる)と考え、

五郎は近くの河原へ行き、石を投げ始めたのである。


石は、

(これぐらいがしっくりくるな)

ということで卵ぐらいの大きさの石を選んだ。


先ずは向こう岸まで投げる力をつけると五郎は決意し・・・


とにかく暇ができると河原へ行き・・・これを繰り返した。

時には三時間以上も投げ続けることもあった。


そんな時は、

「ち、痛っ!またかよ」

よく指先から血がふきだしたりもした。


時にくじけそうにもなるが、

五郎の脳裏に浮かぶ・・・鳶につかまれ逃げようともがいていたタキの姿が・・・

五郎を励ました。


(何とか向こう岸まで・・・何とか・・)

と思いながら、日々を重ねていった。


これは後の話になるが・・・


やがて川の向こう岸まで投げられるようになると、

五郎は、次に林の中で狙った木立にぶつける稽古もはじめた。


(なかなか、あたらねえや)

しかし、じっと的を見つめ集中力を高めていくと、的が大きくなっていくように感じ・・・

徐々に当たる確率が高まっていった。


しかし、五郎は思った。

(いくらこれで上手くなっても・・・鳶のように動いているものに

ぶつける能力は高まらない・・・)


ということで始めたのが、

高く石を投げ、その空中にある石に次の石をぶつけるというものである。


これが難しい。なかなか当たらない。本当にあたらない。

でも五郎はあきらめない。


・・・初めて当たった時は、

「やったーー!」

と思わず飛び上がって喜んだ。しかし、また当たらない。


「くそー」と落ち込む。

こういう日々を繰り返していった。


そして、・・・月日を重ね

いつしか五郎は・・・なんと、

投げた石が空中にある間に三個の石をぶつけることも度々できるようになった。


また、密集する木々のほんの少しの隙間をすり抜けて、三十mくらい向こうの目当ての木に

十うち九は当てることができるようになっていたのである。


そのころには、

五郎の右手の人差し指と中指の先はまるで石のように固くなっていた。


五郎は石投げを通して・・・

(なるほど・・・そうなのか・・・てんで違うぜ!

うまくなる早さが・・・


そうなら・・・しっかり心においておかないと・・・いつも、いつもな!


これが早く上手くなるコツなんだな・・・

そう・・・


事に当たる時には、とにかくびしっと目標(めあて)をもつことが・・・)

ということを学んだ。


それは、その後の五郎の剣術をはじめとするその他の

武芸などの修練に大いに生かされていったのである。


 


 


さて、・・・話をもとに戻す。


五郎がまだ向こう岸にまで石が投げられなかった頃のこと・・・

ある雨の日、五郎は朝から頭痛で伏せっていた。


たまたま父が部屋にやってきて、

「五郎、大丈夫か・・・」と声をかけた。


寝ていた五郎は、目をさまし、父の方へ顔をむけ、

「ああ父上、大丈夫にございます」


・・・その時父興房の表情が一瞬止まった。が、すぐに元に戻り・・・

「それならよい。ゆっくり休んでおれ」

といい部屋を後にした。

 


その二か月後のことであった。


父によばれた五郎。

「来たか、入れ」と父の声が聞こえた。


五郎の目に、父ともう一人の男の姿が目に入った。

男は父よりかなり上に見えた。正坐しているその姿はまるで石像のようであり、

凛としたものがあった。


左目に刀の鍔風の皮の眼帯をしている。

もう一方の右目だが、鋭いわけでもなく優しいわけでもない。


あえて表現するなら、深いというのが適切か。

五郎は・・・この人の前ではウソをつくことができないなという思いを抱いた。


父が口を開いた

「五郎よ、この御仁が今日からお前の守り役になる。

つまり儂のかわりに父代わりになるということじゃ。

今後は、この御仁の申すことを父の言葉として受け止めよ。よいの。」


「はっ、わかりましてございます。」


「この御仁はわしが若い時から父とも兄とも慕ってきた方じゃ。

日本中を回って様々なことを経験されてきておられる。

各地の大名のことにも、戦のやりかたなどについても通じておられる。

この度はわしが是非にと頭を下げて、お前の守り役をお願いした。しっかりと学べ。」

「はっ」


「きっとお前のためになる・・・おもしろいこともいろいろ学べるはず」

と言いニヤリと笑った。


五郎は、その男の方を向いて

「五郎と申します。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」

と言った。


「わしは後藤治右衛門と申しまする。

五郎殿はいずれ、大内家を支える陶家の当主となられるお方。

よって、責任(せめ)を重う感じておりまする。こちらこそ、よろしくお願いつかまつる」

と男は答えた。


そして続けた。

「私は歳を重ねておりまする故、爺とお呼びくだされ」

「爺ですか・・・、わかりました。そう呼ばしていただきます。」


陶興房は治右衛門に

「周りのことは一切気にかけず、とにかく好きにやっていただきたい」

と全面的に五郎のことを託し、家中の者にもその旨きつく申し付けた。


それほどまでに治右衛門のことを頼みとしていたのである。


さてその数日後・・・


五郎と爺(治右衛門)は実にうすぎたない物乞いの姿で、凍り付くように冷える

山口の街路に佇んでいた。


「あ、あちらから参りますのは大和屋の主人でございます」と被り物をしている五郎。

「薬問屋の?」と治右衛門。

「そうでございます。しばらく前・・・山口の屋敷で・・・菓子などをくださり・・

凛々しい若君だなどと・・・たいそうほめていただきました」

「なるほど」


五郎と爺の横を通った時・・・


大和屋の主人は二人を一瞥(いちべつ)して、


「ああ嫌だ。この山口の町に・・・蠅がたかっておるわ。反吐(へど)がでる!」

と言い、唾をペッと吐きながら過ぎていった。


五郎は、この前会った時の大和屋の恵比須顔と

今日の別人のような不機嫌な顔の差に・・・思わず目が点になった。


「五郎殿、こういう姿になれば、またいつもとは違った景色が見えましょう」と爺。


続けて淡々と、

「人は、自分より低いものとかかわった時に、その本性(まこと)が

出やすいものにございます」と。


(そういうものか・・・)と五郎は思った。


目の前を歩む人々は、無視したり・・・、嫌な視線を送ったり・・・悪態ついたり

あるいはやさしい言葉をかけてくれたり、物や金をくれたり・・・

実に様々・・・人それぞれであった。


例えば、やくざ風の男が通ったとき・・・

その男が二人に近づいてきた。その眼は錐のように鋭かった。

五郎のすぐそばに来て・・・その眼が二人を見おろした。

五郎は男の迫力に・・・何かされるのでは・・・と緊張した。


と、男は懐に手をやり、

「寒いのに。かわいそうに!風邪ひくなよ。

少ないがとっときな」

と結構な銭をくれ、去っていった。



にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

アキとフユイメージ映像です。
ぽちっとしていただいたら励みになります。



空の画像 プリ画像

     冬空