kanossaのブログ

歴史小説や時代小説を綴ることを中心としたブログです。
簡単に読めるものを書いていきます。最初は、戦国時代
に主君大内義隆を殺害し、厳島の合戦で毛利元就に敗れ
散っていった陶晴賢(五郎→陶隆房→陶晴賢)を主人公
とした「TAKAFUSA」を書きすすめます。

時代小説「TAKAFUSA」その17 運命(二)



まえがき


今は陶晴賢子供時代のお話となっています。兄を失い、また愛犬タキを失うという悲しみも体験しながらも、父・母に厳しくも温かく育まれ・・・また、又二郎・百乃介・与吉などの仲間にもめぐまれ、浜の網元の娘お栄にほのかなあこがれを抱く五郎、泣いたり笑ったり危機に陥ったり・・・多感な少年時代をすごしています。また五郎は爺との絆を深めていきます。そして、毛利元就に会うために爺と一緒に五郎は旅に出ます。今回は爺と大男の関係が明らかになっていきます。




 次の日、爺は五郎にこう伝えた。

「五郎殿、わしは今日は書を読んだり物を書いたりいたすので、五郎殿は山で剣の修行を」
爺はゆうべあのようなことがあったので疲れているだろうと思い、
「わかりましてございます。川のほとりで坐禅と剣の修行をいたしてまいります。夕刻には戻ります」といい、大きな握り飯二つと梅干と味噌を宿の主人に包んでもらい、石ケ谷峡に出向いた。滝のみえる川の中にある巨大なひらたい石の上で五郎は坐禅を行った。山の森閑とした空気、新緑の香り、川のせせらぎが五郎の五感を刺激した。何も考えず、と座っているのだが、頭は様々なことを考えてしまうのであった。
 火が燃えている時、爺は命をかけて家に飛び込んだのに、自分は何もできなかった。ただ茫然としていただけだった。あの大きな男も爺同様に行動したのに。自分はなんてつまらないのだろう。泉屋善右衛門の襲われた時も、犬に襲われた時も、爺や又二郎に助けられただけで何もできなかった。こんな自分で陶の家を背負っていけるのだろうか。陶の家をだめにしてしまうのではないか。いつか、爺や父のような強い男になれるのだろうか。と弱気になったり、いや絶対に強い男になる。ならなければいけないという思いがあふれてきたり、五郎の気持は大きく揺れ動いていた。


 坐禅のあと、五郎は不安な気持ちを打ち払うように木刀を振り続けた。とにかく振り続けた。すると、五郎は不思議な感覚にとらわれた。木刀を振ること以外、何もないのである。さっきまであった雑念が忽然と消え、その消えたことに意識が向くこともない。どころか、自分自身さえなくなったように感じていたことに後で気が付いた。なのに、周り見えていたのである。自分の目が見ているというのではなく、周りの自然に自分自身も溶け込んでいるかのような、なんともいえない感覚であった。どのくらい時間がたったかも自分ではわからなかった。わかったことといえば、ざわめいていた己の心が、まるで水面のように落ち着いていたことであった。
 
 夜になり、宿の主人が昨日のお礼ということで食事をもてなしてくれた。案内された部屋に行くとすでのあの大きな男がおり、
「昨夜はどうも」といった。
「こちらこそ命をたすけていただき心から感謝つかまつる」
 背筋をのばし爺が丁寧に答えた。横で五郎も頭を下げた。その後、お互いの名を名乗った。男の名は田中久三といった。爺と男は酒を飲みながらいろいろよもやま話をした。五郎は食事を終えると、自分たちの部屋のほうへ戻った。爺と久三は、飲みながら話をつづけた。やがて話は男の身の上話にうつった。
 
 男の話はつぎのようなものであった。
 
 男はずっと剣の修行をしながら旅をしているとのことだった。何でも赤ん坊の時に、さる武士に拾われたとのこと。その武士は、妻と死に別れ十四と十六になる子を育てていただのが、二人も三人も同じということでその赤ん坊も育てたのだそうだ。
 それは可愛がられて育てられた。その武士にも、そしてその子たちにも。やがて、自分が四つの時にその武士が流行り病で亡くなった。すると代わりのその武士の弟と妻が、三人の子をわが子のように育ててくれたのであった。二人の兄は、仕える大名の家中においてめきめきと頭角をあらわし、体が二人とも大きかったので「二人弁慶」とよばれていた。また、叔父は逆に躰が小さかったが、まるで獣のように俊敏に動き敵を倒したので「今義経」の異名をとっていた。この「二人弁慶」と「今義経」たちが出てくると戦の流れががらっと変わってしまうので、近隣の大名たちからは恐れられていたとのことである。
男が八歳になった時のことである。ある大名と戦になった。男は戦場(いくさば)にいったわけでなないのだが、その時の様子を何人もの人間から聞いたそうである。
 
 戦の初日、兄二人と叔父の大活躍で敵を押しまくったそうだ。二日目にはこちらが側の勝ちで決着がつくように思われていた。次の日、案の定いつものように兄たちや叔父が大暴れして、敵を大崩れさせるだろうと思われた時、一人の小男があらわれた。鎧はつけているが、兜はかぶっていない。手には刀を持っていた。
 
 上の兄が大音声(だいおんじょう)で、
「貴様は馬鹿か、具足武者相手に刀で向かうとは、のけ」というと、
その小男の目がきらっとひかり、
「いざ、尋常に勝負」


「馬鹿につける薬はないわ」といいざま、
 槍を猛然と突っ込んだ。小男は前に突き進み、瞬時に槍とよけた。と、兄の左手の親指を刀で落とし、そのまま刀を返し、柄を兄の両目の間に叩き込んだ。その箇所が大きく陥没し、兄は崩れ落ちた。ほんの一瞬のできごとだった。その動きはとても人のものとは思えなかったそうな。
 
下の兄が
「くそー」といい、その男の前にでた。
「えい、おー。えい、おー」と槍を鋭く繰り出すのだが、小男はそれをヒョイヒョイとかわす。そして、何度目のことか。かわしざまに、刀を捨てそのまま槍をつかんだ。それを強烈に引きながら足元に滑り込み、下の兄の足をかけ倒した。その後組打ちになり数回地面の上を二人は転がった。
 ぱっと立ちあがったのは小男だった。転がっているさなか、脇、股、顎の下に鎧通(よろいどおし)を突き刺していたのである。下の兄の体からは、おびただしい血が流れ出していた。
 
 それを見た叔父が血相かえて、その小男に対峙した。
「そちの名は」
「後藤治右衛門」
「見事な腕じゃわ。二人の仇をうつ。いざ勝負」
「今義経殿とお見受けした。望むところよ」
 叔父は刀で斬りかかった。叔父の刀さばきの速さは家中随一である。しかし、小男はそれを必死でかわす。小男の手には鎧通しかない。叔父の踏み込みは鋭い。すごい速さで小男も後ずさる。が、小男の足がもつれ、豪快に後ろに倒れ一回転した。そのしゃがんだ姿勢の小男の左首に叔父の刃が振り下ろされた。首をたたき切ったと思われた瞬間、刀の刃が折れ飛んだ。小男は、倒れた時に一瞬で大きな石をつかみ刃を防いだのであった。で、そのまま石を叔父の脳天に叩き込んだ。兜の上からだとはいえ、その衝撃は大きく、叔父の体はふらついた。すかさず小男は、鎧通を叔父の左耳下に突きこんだ。
 
 あっという間に、「二人弁慶」と「今義経」が一人の小男ににより倒されたのである。敵方は、これを境に猛烈に勢いづき、闘いを優勢にすすめた。三人を一挙になくした味方の衝撃は大きく、ついに和睦することとなった。
 
 叔父と可愛がっていた兄の子二人を亡くした叔父の妻は、その後二年で亡くなった。自分を拾ってくれ、愛してくれ、本当の子どもとなんら変わることなく育ててくれた人々はみんないなくなったのである。いくら戦の上でのこととはいえ、その小男のことを激しく怨んだとのこと。聞けばその小男は、正式の家来ではなく、その大名のところにたまたま食客として滞在してたとか。なんでまた、そのような時に。天も怨んだそうな。
 殿さまはじめ、まわりの者は、家を継いで立派な武士になれとすすめたが、皆がいなくなってしもうては意味がないと思い、十三歳になった折に旅にでた。幸い多くの財を残してくれておった上、殿さまも多額の銭を餞別としてくれたので金に困るようなことはなかった。生きていても意味はない。ただ生きるのは、その小男を探し出して斬るだけ。そう思い定め生きてきたそうな。
 ただそ奴は天狗のように強い。何としても強くならねば。何としても。その思い。その思いだけで。それこそ血のにじむような修錬を何年も何年も続けた。高名な遣い手がいると聞けば、訪ね教えを請うた。ある程度自信がついてからは、あっちこっちの大名に世話になり、戦場をかけめぐってきた。強い相手にも挑んだ。それで死ねばそれまでのこと。何としても強くならねば。ただただその思いだけ。いつかあ奴を斬る。その思いだけで生きてきたのである。
 
 このようなことを語ったあと、久三は杯の酒をゆっくりと飲みほした。
 
 爺が、久三をを見つめ、
「田中殿、いつごろ気がつかれたのかの」
「風呂で会うた時に、もしやとは思いもうした。が、そんなことは今までも数知れずあったこと。また間違いやもしれずとも思うた。部屋に戻り、気になったもので悪いとは思うたが、主には内緒で宿帳を見た」
 久三は一息おいて、言葉をつづけた。
「驚きもうした。今まで長年追い続けた仇をやっとみつけたのですから。もう逃すわけにはいかぬ。朝早く訪ねて、果たし合いを申し込むつもりでした。ところが、その夜起こったのがあの火事。叫ぶ母親の声を聞き、家に飛び込んだものの火の海。そこで後藤殿の後ろ姿をみつけた。あの状況で娘を助けにいくのは無謀。というか死ににいくようなもの。あきらめられるだろうとみていると、なんと飛び込まれた。正直驚いた。その後のことは、ご存じのとおり。あの時、箪笥を差し入れたは、心底お二人を救おうと思うて。仇だということも忘れてしもうていた。」


「そうでありましたか。風呂で会うた時に気づかれておられたのですね。憎い仇。何年たっても忘れようはずがないですな。さて、今思いだしましてございます。あの戦ののち、和睦が終わり、その帰る道すがらのこと。一人の少年に厳しく睨みすえられたこと。近くの者が、二人弁慶と今義経の一族の少年ということを教えてくれもうした。あの時の少年が田中殿であったとは」
 
 久三はなんともいえない表情をうかべていた。
「後藤殿が、酷き人間であったならばと思いまする。斬ることになんの斟酌もいらぬ。が、後藤殿は人の命を救うために身を賭して向かわれるような義のお人。火事以来、わたしは悶々と」
「そうでございますか。しかし、それはたまたまのこと。私はろくな人間ではありませぬ」
「また、叔父や兄二人を後藤殿が斬られたのは戦場でのこと。そのことを恨むのは逆恨みで筋が通らぬこと。筋が通らぬ理屈で、義のある人を斬ってよいものか、悩みもうした」
 久三は眉間にしわを寄せていた。
「が、やはり捨て子であった私を生かしてくれた四人のことを想うと。たとえ筋が違っても、
酷い男と罵られようと、後藤殿を斬らねばならぬという気持ちが勝(まさ)ってございます。いや、もしかしたら、そのことだけを望みにして生きてきた自分をなくすのが恐ろしいのかもしれませぬ。自分でもよくわかりませぬ。ただ、この果たし合いが理不尽であることは重々承知しておりまする。一度だけ申しまする。一度だけ・・・。
後藤殿、果たし合いに応じていただきたい。」
 久三は、ここで一呼吸おいた。
「もし、後藤殿が断られるなら、それで結構でございます。昨夜の火事で、私の仇は死んだと思うことにいたしまする」
 爺はもっていた杯をおいた。
 二人の沈黙の中、外で鳴いている蛙の声がひときわ大きく部屋に響いていた。


 静かな落ち着いた声で、久三の瞳をまっすぐと見据えながら、爺は答えた。
「お引き受けいたしましょう」





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