kanossaのブログ

歴史小説や時代小説を綴ることを中心としたブログです。
簡単に読めるものを書いていきます。最初は、戦国時代
に主君大内義隆を殺害し、厳島の合戦で毛利元就に敗れ
散っていった陶晴賢(五郎→陶隆房→陶晴賢)を主人公
とした「TAKAFUSA」を書きすすめます。

TAKAFUSA その4 陶晴賢 父の想い(二)

その4
(二)
 
その夜のこと・・・ 陶興房が書き物をしていると、


 「あなた、お茶がはいりましたよ」と、
妻のお藤が部屋に入ってた。 


「ああ」と興房。 


お茶碗を机におきながら、お藤は興房の横顔をじっと見つめた。
 
「冷たい男だろうと思っているのだろう。長男の興昌を斬ったのも俺だものな。」 


「・・・」
お藤は目を伏せた。 


「俺もさすがに人の親でな・・・子はかわいいものよ。
此度のことも犬に殺されずに、よう帰ってきてくれたとも思う」 
興房は、おもむろにお茶を口にいれた。 


お藤は伏せた顔をあげ、興房の瞳をみつめた。 


「なれどな・・・上に生まれついた人間は、下の人間の命を預かっておる。
その重みを五郎にもわかってほしいのじゃ」
 
外から「リィリィリィリィ」と鳴く虫の声が聞こえた。
 
「卜伝殿があらわれなんだら、又二郎も与吉も百乃介も、
そして、五郎も死んでいたろう。
それも五郎の失態の所為で・・・
上に立つ者の責任(せめ)の重さを、家来たちの命の重みを・・・


つづけて、
「これから先、戦で家来をたくさん失うこともあろう・・・
が、それを当たり前じゃとは思うてほしくなくての」
 
表情の和らいだ妻は、興房に丁寧に礼をして部屋を出て行った。
 
ふたたび「リィリィリィリィ」と鳴く虫の声が部屋に響いた。
 
その数日後、陶興房が山口で評定が行われるため、出立することになった。


塚原卜伝と、やっと父に許された五郎も同行することとなった。
 
卜伝が城を出たところで、視界の下に広がる陽に照らされて美しく輝く瀬戸内の海を見て、


「毎日かようか美しい景色がみれるとは羨ましい。
まさに心洗われる思いがいたしますな」
と興房に言った時・・・
 
一人の武芸者と見える男が卜伝の目の前にやってきて、
「失礼だが、塚原卜伝殿ではないしょうか」 


「いかにも、塚原卜伝である」


その男は年の頃は二十五・六歳だろうか。
巨漢で約百八十センチはあろうかという体躯。
顔の下半分は髭に覆われており、
赤鬼のような顔をしていた。
 
「拙者は、肥後出身の瀬田甚兵衛と申しまする。
誠に突然で、何のだが・・・真剣での立ち合いをお願いしたい!」
と男は卜伝に詰め寄った。
 
卜伝は、
「このような唐突な立ち合いは、断ることにしておる」 


陶興房と五郎は、二人のやりとりを黙ってみつめていた。 


甚兵衛の目が針のように光った。
「どうでもお願いしたい」 


「できぬ!」と卜伝。 


「では、勝手にやらしてもらうまでのこと・・・」
甚兵衛は、少し腰をかがめた姿勢をとった。
 
「どうしてもか?」 


「うむ?」と甚兵衛が頷いた。 


「わかり申した、されば十日後の同じ時刻、ここで!
山口にある大恩人の墓に参るため今回の旅に出た。
それは私にとっては必ず果たさねばならぬこと。
承知していただきたい」
 
「卜伝殿、誠に約束違えず、来ていただけるのかの?」


 「この卜伝が言うこと、信じれぬと申すかー!」と大喝した。


 その厳しい語気と表情は、この数日間の卜伝のおだやかな態度とは
打って変わったものだったので、興房も五郎も驚かされた。
 
甚兵衛も、その迫力に圧され、十日後の立ち合いを承諾した。 


「では十日後、ここで」と卜伝。 


甚兵衛を後にして、卜伝、興房、五郎は歩き出した。
 
しばらく行き甚兵衛の姿が見えなくなったところで五郎が、
「塚原様、本当に立ち合われるので・・・」
 
興房はにやにやしている。


卜伝は、

「今のは真っ赤な大嘘でござる。

あの手の手合いが、まさに雨後の筍のように・・・

一々相手しておっては切りがありませぬ。

それに、あたら若い命を散らすのは趣味ではござらぬ。」


「・・・」と五郎。


「卜伝は、嘘は嫌いだが、この点に関してだけは大嘘つきでござる!

はっはっはっ、十日後は霧のようにどこかに消えてござるー」

と卜伝は大笑いしていた。