kanossaのブログ

歴史小説や時代小説を綴ることを中心としたブログです。
簡単に読めるものを書いていきます。最初は、戦国時代
に主君大内義隆を殺害し、厳島の合戦で毛利元就に敗れ
散っていった陶晴賢(五郎→陶隆房→陶晴賢)を主人公
とした「TAKAFUSA」を書きすすめます。

時代小説「TAKAFUSA」関連  煎り酒


今は風邪で午前中はダウンしていました。「TAKAFUSA」を書こうと
思ってはいたのですが、気力がわきませんでした。


妻が今日は仕事なので、昼過ぎから買い物にでて夕飯の支度にかかりました。
主人公五郎の大好きな煎り酒を使うために、スーパーで特価だった鯛の刺身を買って
きました。
煎り酒、今嘗めてみました。とても品のいい、醤油のような・・おいしいですね。
思ったより味がしっかりいています。いや、これはおすすめです。


煎り酒

日本料理に用いる調味料の一種。酒1.8リットルを沸かして4割に煮つめ、大きめ梅干し3個を加えてさっと煮て塩少々を加え、好みで砂糖少々を加える。古くから、なます、酢の物、刺身(さしみ)などに用いられてきた。1643年(寛永20)版の『料理物語』には、「いり酒は鰹(かつお)のけずったもの一升に梅干し十五~二十古酒二升水少々と溜(たま)り少々を入れ一升に煮詰め、こし、さましてよし」とあり、古い作り方がわかる。また1898年(明治31)版の『日本料理大全』には、刺身用の煎酒の作り方として、「梅肉にかつおぶし煮出汁などよき程に調合して鍋(なべ)にてよく煮立てて水のうでこし塩を加えてまた煮返して味を調えるなり」という説明がある。このように、煎酒の分量の配合については、時代により、用途により、著しく異なっている。[多田鉄之助]*日本大百科全書の解説より


煎り酒で、鯛の刺身、これは楽しみです。


それから、あさりの味噌汁もつくりました。

貝のかおりがなんともいえません。妻が喜んでくれればいいのですが。


くわえて、鳥のトマト煮に、レシピをみながらチャレンジしました。

湯気でうまく写真がとれませんでした。豆乳を入れるといいと書いて
あったので入れてみたのですが、色は入れる前の方が鮮やかでおいし
そうに見えたのが、少し悔しいです。
ブロッコリーも最後にいれるべきでしたね。素人の悲しさです。


そして、とっておきの料理は・・・・
そう、妻の大好きなお好み焼きです。
美味しいと評判の店で買ってきました!


いただいた焼酎を飲みながら、妻と夕食をともにしたいと思います。


焼酎の銘柄は白霧島です。黒霧島・赤霧島は知っていたのですが、白霧島はいただいて
はじめて知りました。飲んでみると・・・美味いです。ただ、詳しくないので違いが
説明できません。ただ美味い。(笑)三つならべて飲んでみると、違いがよく
わかるのでしょうね。



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時代小説「TAKAFUSA」関連  牡蠣と城

いつもブログにお立ちよりいただきありがとうございます。


新年あけましたが、なかなか仕事が忙しく「TAKAFUSA」を書き進めることができませんので、写真を載せておきます。


前回のおはなしでは、五郎が牡蠣を生で食べていましたが・・・牡蠣についての知識、綺麗にまとめてくださっているブログがありましたので、その中の文章を掲載させていただきました。

三陸志津川産 殻付生牡蠣  旨い牡蠣屋ホームページに掲載されている写真


http://情報屋.com/archives/2640#2

カキの秘密に迫る! ~カキの語源、歴史、種類、旬、選び方~

カキの食用としての歴史は非常に古く、日本では、縄文時代の頃から食用として食べられていました。 これまでに発見された多くの貝塚(shell mound、昔の人が食べた貝の殻などが堆積したもの)からは、たくさんのカキの殻が見つかっており、ハマグリの次に多く食べられていたと考えられています。 ところが、日本のカキの生食の歴史は意外にも浅く、カキを生で食べるようになったのは、欧米の文化の影響を受けた明治以降であり、魚介類の生食を嫌う欧米の方で先に、カキの生食文化が発達しています。 魚介類の生食文化が欧米から輸入された、珍しい例と言えるでしょう。




NETWORK2010名古屋100キロ圏内の情報発信ネットワーク http://network2010.org/article/1530に載っている画像です。


この画像、立派な山城ですね。城といえば大阪城や姫路城などをイメージしますが、信長以前はこのような城であったみたいですね。


戦国時代は、民衆も領主の城に籠もったりしたそうです。


また、民衆だけで簡単な砦、小屋を山の上につくり籠もることもあったみたいです。





 (一般社団法人宮島観光協会にホームページに掲載されている写真)





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時代小説「TAKAFUSA」その16 厳島神社





まえがき



今は陶晴賢子供時代のお話となっています。兄を失い、また愛犬タキを失うという悲しみも体験しながらも、父・母に厳しくも温かく育まれ・・・また、又二郎・百乃介・与吉などの仲間にもめぐまれ、浜の網元の娘お栄にほのかなあこがれを抱く五郎、泣いたり笑ったり危機に陥ったり・・・多感な少年時代をすごしています。また五郎は爺との絆を深めていきます。そして、毛利元就に会うために爺と一緒に五郎は旅に出ます。今回は厳島神社に行きました。


その16



五郎と爺は街道を東へ東へ進んでいた。



二人の脚の動きが速い。次々と旅人たちを追い越していく。
 
「明日は速く歩く修錬をおこないますぞ。五郎殿はついてこられるかの」
「へっちゃらだよ」
「では、明日は地御前から厳島にわたり、夜は廿日市宿に泊りましょう」
「厳島。話に聞く海の鳥居だね」
「そうですな。では明日は七つ(朝4時ごろ)だちいたしまする」
「七つか。あいわかった」
前の晩、二人はこんな話をしていたのである。
 
速足で歩く五郎であったが、息は少しもみだれていない。それはそうである。
爺と何度も山で修行してきたのである。山道に比べれば、街道の道は実に気楽なものである。
「爺、それにしても昨夜の牡蠣すごかったの」
「ですな」
「火を通さずに食べたのは初めてだった」
「そうですな。牡蠣はいたみがはやいので、火を通すのがふつうのこと」
続けて爺がいった。
「長く生きてまいったが生で食べたのは、四、五回目のような。が、昨夜のは今までで一番でありましたな」
「いやー、もうとにかくあのちゅるっとして、みずみずしいのにはおどろいた。で、なまぐささがなく、潮のかおりが心地よくただようて、たまらんかったな」
五郎が、舌をぺろりとだした。
「五郎殿は食い物の話をするときは、舌がくるくるまわりますな」と爺がほのかに笑っている。
「へへへ。食いしん坊なのかな」
 
地御前にもうすこしというところで、山道から山林にはいったところで、人影が見えた。
よくみると百姓のようである。なにやら穴を掘っているように見えた。
百姓らは、五郎と爺の存在に気づくと、すっと大きな木の後ろに姿を消した。
 
「爺、あれは何をしているのであろう」
「五郎殿がおられる周防の若山城や山口などは盤石な大内の支配下にあり、平和でござるが、今は戦国の世、どこもいつだれに襲われるのかわからないのが当たり前でござる」
「戦においては、人もものも取り放題」
「どういうこと」
「人間も、家財も着物も全部うばわれるということです。戦には農閑期の百姓も多くかりだされており、命をかけて戦いに参加する見返りとして、あらゆるものを奪っていくのです。それは大名も認めておること」
「人も」
「そうでござる。つかまった人間は、下男・下女にされたり、売られたり、あるいは殺されたり。女などもそれは悲惨なめに」
「で、あの百姓たちは」
「戦で突然襲われた時など、裸同然で逃げねばなりません。その時のために、衣類や必要な家財を隠しておくのです」
「このあたりも厳島神主家の地位をめぐっての争いがあり、またそこに安芸の武田氏と大内氏がからんできており、争いは絶えませぬ」
 
地御前に着いたふたりは、厳島神社の外宮といわれる地御前神社をお詣りし、その後船で厳島へ向かった。海上の風が、着ているものを揺らしていた。頭上からふる太陽の光はやさしくここちよいものであった。
 
「爺は神仏が好きなのじゃな」五郎がいった。
「そうみえますか」
「朝もいつも目を閉じて祈っておるし、このように神社詣も」
「たしかに。が、朝祈っておるのは、神仏ではございませぬ」
「えっ」
「あれは、自己の死をおもうておりまする。若い時分から戦場をかけめぐっておりますが、戦の朝は死をおもわざるをえません。すると、ふつうにみていたものがひかってみえまする。
ふしぎなことです。で、朝死をおもうことをいつしか習慣にいたしておりました」


「では、爺は神仏は信じていないのか」
「五郎殿はむずかいことを聞きなさる。爺はそう深くは信じてはおりませぬが」
「ふだん神仏を信ぜぬおひとも、身内がのった船が沖でしずんだとき、手をあわすのではないでしょうか。そのような昔からの人のおもいが神仏になっていったのでは。そんなふうに考えておりまする」爺は目をとじてつづけた。
「で、神社詣を行うのは、世のならいにしたがってです。さして障りがない場合、世のならいにしたがう。それでいいのでは」
「厳島に参るのは、帰りでもよかったのですが。多田村(現在の広島県の湯来)の温泉の猪が食べとうて。獣食の後は数十日は神社詣すべきでないいうとうなこともいわれますのでな。先にまいることにしたのです」
 
こんなことを話しているうちに船が厳島に近づいてきた。
「おーー爺、爺、すごいぞ。ほんに海に鳥居が浮いておるわ」
五郎が、興奮して目をかがやかせながらいった。
「あれは平清盛公がつくられたそうな。高野山で白髪の爺様から、厳島神社をきれいにすれば出世するといわれてな。清盛公は、その爺様を弘法大師様が姿をかえたものとおもうたらしい。で、本当に栄耀栄華をきわめることになり申した。で、」
爺は、そのあとも話をしようとしたが、鳥居の美しい光景に目をうばわれた五郎の耳に入りそうになかったので、やめた。
 
二人は島につくと神社を参詣し、再び船に乗り廿日市宿に向かった。で、宿に荷をおいて、近くの寺でおこなわれている祭りを見物にでかけた。
 
歩いていると人だかりができていた。何だろうということで、みてみると、
その中心には上半身はだかの、爺さんがいた。
爺さんは
「はっはっはー」と笑い声をあげながら満面の笑みで
大きな巾着から銭を掴んではまわりにまいているのである。
「ほれ、金じゃー金じゃ」
それを必死で拾い集めるものやら、爺さんの様子を眺めるものやら、たくさんの人間が爺さんのまわりにあつまっていた。
「おい、あれ柳屋の大旦那だぜ。」
「立派な人だったのにな。ありゃ、ひどいわ」
というような声が、五郎と爺の耳にはいってきた。


すると、三人ほど商家の若い手代たちが走ってきて、

「大旦那様―」と叫びながら、

二人が左右から爺さんを羽交い絞めにしながら走りさっていった。一人は地面の銭をかきあつめていた。

爺さんの

「はなせー、はなせー」という声があたりに響いていた。

 

「五郎殿、人というものは脆いものでございます。年老いても、若くても

突然おかしくなるということが、往々にして。たくさんみてまいった」

「爺はだいじょうぶだよ。しっかり者じゃから。」

「爺もわかりませぬぞ。」

一呼吸おいて

「人というものは、本当に脆いものです」とゆっくりいった。


 (一般社団法人宮島観光協会にホームページに掲載されている写真)



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